国際交流

石州和紙とブータン王国との交流

石州和紙を通じてのブータン王国と三隅町及び石州半紙技術者会の交流は1986年から始まりました。この間、三隅町ではブータン王国からの技術研修員の受け入れ事業と和紙製造技術専門家の派遣事業を推進し実施してきました。
 特に1990年と1995年の二回は、三隅町からブータン王国の紙工場に製造機材を贈呈しましたこと、そして1995年、清谷祐二三隅町長がブータン王国を訪問し、ブータン王国通商産業貿易省と交わしました「文化交流の協定書」に基づきまして両国の交流はより深まっております。今までに研修員の受け入れは延べ114名、専門家派遣は延べ13名となっています。
 JICAの短期専門家として1998年に原材料と紙工場と調査及び紙製造技術の指導を、2000年は紙製造に必要な簀桁の道具づくり及び紙製造の技術指導、そしてブータン紙の組合組織化推進のために、2001年は東ブータンのタシヤンツェ県でレショー紙製造者全員に一同に集めてのワークショップを行い、そしてブータン紙産業の実態調査、日本式紙工場への技術指導を実施しましたが、市場や品質、技術移転、協同化など問題点がかなりあります。

ブータン王国の手すき紙は近隣の国と比較しても品質面では上であると感じておりますが、しかしながらデザインなど製品開発が後れていると感じます。手すき紙の品質が向上しても用途に合う紙でなくてはいけません。ブータンの紙工場はそれぞれ工夫しておりますが完成まで至っておりません。
 単なる観光客へのお土産品なのか、目的に応じた紙製品を製作すべきであり、又一枚物の紙と紙製品は海外だけに使用してもらうのでなく、ブータン国内でも大いに使用してもらう努力をすべきでもあると感じております。

 今後は、組合組織化やマーケット開拓も原材料の確保も含め総合振興計画を立案するためにもブータン通商産業貿易省を中心にプロジェクトチームを編成すべきであり、そしてブータン王国らしい計画が実行出来る事を願っております。
 三隅町、石州半紙技術者会や石州和紙協同組合のメンバーも今後の技術指導に対しては出来る限りに応援を致したいとしております。
 ブータン王国には日本と同じような伝統的工芸品が13種類あるようです。技術的にはまだまだ後れていますが、手すき紙も含めブータン王国の伝統的工芸品産業振興のためにも紙産業の振興がモデルとなり、技術向上に役立てればこれまでの技術協力が生きます。

ブータン紙の現状

ブータン王国の手すき紙の原料は、日本の和紙原料である三椏、楮、雁皮の靭皮繊維と同じです。ブータン王国の伝統的手法で作られているツァショーやレショーの原料である「ダフネ」は日本の雁皮によく似ており強靱で光沢があります。三椏につきましては栽培はしていませんが日本と全く同じです。この主要原料であるダフネと三椏はブータン国内には豊富に自生しています。
 しかし、豊富な原料を保有しておりながら原料の保存方法、道具等の不備など、特に製造技術の未熟さなどから出来上がった紙は均一性が保たれおらず、紙形や紙色がまちまちでしたが、1986年から石州和紙の技術・技法による技術指導を実施してきて改良されつつあります。
 ブータン王国は世界に類のない貴重な文化と遺産を持っている国です。手すき紙についてもダフネや三椏など原材料が豊富にあることから、伝統文化であるブータン紙が国の産業と成り得ることが出来ないか、叉世界の市場に通用する製品にならないかとブータン政府の通商産業貿易省では検討がなされております。叉、東ブータン地域でレモングラスを利用してエッセンシャルオイルを製造することが産業化できましたが、手すき紙がそれと同じように産業として確立できないかと強い要望を持っております。

ブータン政府の通商産業貿易省はこれまでにブータン国内で手すき紙の産業化を推進するために高いプライオリティーをもって、日本での技術研修員の受入や和紙専門技術者の派遣をJICAや三隅町に要請を図っております。
 これまでに日本から機械・器具等を贈呈した二つの工場は帰国研修員もいることもあり、自主努力をし工場として成り立っていますが、手すき紙の品質や紙価格、マーケット等で手すき紙産業としては全国的にみてレベルの格差がかなりあります。
 今後もブータン王国の培われた風土と資源に石州の和紙技術を取り入れ、マーケットにのせられるブータンらしい紙の確立を図る必要性があります。
 そのために原料の成分検査及び各種のブータン紙の分析検査等を資料にし、素朴で強靭なブータン王国の伝統的手すき紙と薄くて強く綺麗な日本式手すき紙に製造工程での改良を施し、叉製造技術を向上していけば経済効果のある産業を確立できるものであります。



技術協力の経過

1986年(昭和61年) 2月 ブータンの手すき紙の視察、調査で技術者1名派遣 (久保田保一)

1986年(昭和61年) 12月 島根県海外技術研修員として3名受け入れ(ノルブ・テンジン、イエシェ・ドルジ、ティンレィ・ウォンチュック)

1990年(平成 2年) 10月 和紙製造機材一式の贈呈に伴い、機材設置と技術指導で技術者2名派遣(久保田保一、川平正男)

1991年(平成 3年) 1月 三隅町海外技術研修員として3名受け入れ (リンチェン・プンツォー、ケザン、ドフ)

1992年(平成 4年) 9月 技術指導で技術者1名派遣(西田誠吉)

1993年(平成 5年) 8月 技術指導で技術者1名派遣(川平正男)

1994年(平成 6年) 4月 ブータン通商産業貿易省オム・プラダン大臣の招聘(他4名)

1994年(平成 7年) 8月 島根県海外技術研修員として1名受け入れ (ペマ・プンツォー)

1995年(平成 7年) 7月 2回目の和紙製造機材一式の贈呈に伴い、機材設置と技術指導で技術者1名派遣(久保田彰)

1995年(平成 7年) 8月 JICA海外技術研修員として2名受け入れ (ケサン・ユードン、リンジン・ウォンダ)

1997年(平成 9年) 7月 JICA海外技術研修員として1名受け入れ (ティンレィ・ウォンチュック)

1997年(平成 9年) 10月 原料調査と技術指導で技術者4名派遣 (長見博、久保田彰.、西田裕、川平律江)

1997年(平成 9年) 11月 JICA海外技術研修員として2名受け入れ (カンド・ツェリン、ペルザン)

1998年(平成10年) 9月 JICA専門家として紙産業調査と技術指導で技術者1名派遣(久保田彰)

1999年(平成11年) 2月 JICA海外技術研修員として1名受け入れ (リンチェン・プンツォー)

2000年(平成12年) 3月 JICA専門家として道具づくりと技術指導で技術者1名派遣(久保田彰)

2001年(平成13年) 3月 JICA海外技術研修員として1名受け入れ (チミ・ドルジ)

2001年(平成13年) 9月 JICA専門家として紙産業調査と技術指導で技術者1名派遣(久保田彰)

2002年(平成14年) 3月 JICA海外技術研修員として1名受け入れ (ソナム・ヤングレィ) 

その他の国際交流

日本の和紙は、美しさ、強さ、保存性については世界の芸術家の人達からの評価が高く、今日では日本での外国からの研修生が多くみられます。
 石州和紙と海外との交流の始まりは、昭和50年に米国からフルブライト留学生が和紙の研究のために2ヶ月間訪れたのが最初で、昭和54年に米国エール大学助教授が1ヶ月間原料の調査と技術研修を、昭和58年京都で開催された国際紙会議の参加者で米国・カナダ・英国の三名が会議終了後ホームステイをし、技術研修を、昭和60年には米国からの研修生が1ヶ月間実技研修を、昭和61年にはスペインからの研修生がが1ヶ月間実技研修をしました。
それ以外にも短期間ではありますが、世界各国から和紙の勉強の為に三隅町を多くの人達が訪れております。 その他、海外への交流としては昭和53年にIPCより招聘を受け、米国サンフランシスコ現代美術館で開催されました「紙の芸術と技術」の国際会議に出席をし、初めての国外での手すき和紙の実演を、又、講演、実技指導を行いました。この会議で日本の和紙の評価が高まり、文化及び文化財保護には必要不可欠のもの位置づけました。

平成2年、フィンランド・プンカハリュのレトレティ美術館での「日本の美」の展覧会において、手すき和紙の実演を行い、平成3年、米国・ニューヨークでの「島根県ニューヨーク文化展」において、手すき和紙の実演と説明を行い、英国・ロンドン、及びベルファストでの『ジャパンフェスティバル』の「日本の伝統工芸展」においても和紙染めと手すき和紙の実演を行い、平成4年、中国・北京での『中日伝統工芸品総合展』の「日本の伝統工芸品展」において和紙染めの実演などをして、世界に紹介しております。